退職金

1991年に球団が神戸へ移転するに当たり、愛称公募が行われた。当時の新聞報道によれば、「ゴッドドアーズ」など駄洒落も多かったが、最も多くファンから寄せられた愛称は「ブルーサンダー打線」に引っ掛けた「サンダーズ」だった。しかし、球団側は結局この名称を採らず、公募とは脈絡のない「ブルーウェーブ」に決定。このため、ファンやマスコミから「決定事項の出来レースだったのではないか」との声も多く挙がり、またこれと併せて、当時の報道として「球場(グリーンスタジアム)は山の中にあるのに、何故「ブルーウェーブ=青い波」なのか?」との多数のファンの意見も伝えられていた。 2008年から西武ライオンズが球団名を「埼玉西武ライオンズ」に変えたため、パ・リーグの球団で唯一、球団名に地域名のつかない球団となった(セ・リーグでは同様の例として読売ジャイアンツがある)。ビジネスホテル大阪 ブレーブス時代はアルファベットでの略称を「B」としていた。後に近鉄パールズが近鉄バファロー(1959年 - 1961年)→バファローズ(1962年 - 2004年)となった際に「B」で始まる球団名が重複することになったが、この際は後発の近鉄が「Bu」とアルファベット2文字の略称を使用していた。その後、 1991年にオリックスがブルーウェーブへ改称した際に「BW」と2文字の略称へ変更。現在は近鉄が使用していた「Bu」の略称は引き継がず「Bs」としている。なお、1993年に横浜大洋ホエールズより改称したセ・リーグの横浜ベイスターズは「BS」でなく「YB」である。 ファンと球団大阪ビジネスホテル 関西地区には阪急時代から常に複数球団が存在したため、当時より人気の低迷に悩まされてきた。特に阪神タイガースとは本拠地が同じ西宮市であり、この事や阪神偏重の在阪スポーツ紙の姿勢も追い討ちをかけるような状況であった。「パ・リーグ加盟当初は南海」、「テレビ中継の開始以降は阪神」といった両雄の陰に隠れ、黄金時代であっても人気が伸び悩み、山田久志、ブーマー・ウェルズ、福本豊といった球史に残る選手を輩出しても人気獲得にはつながらなかった。 しかし数では多くなかったものの、ファンは関西での「阪急」の持つステータスやスマートなチームカラーに強い誇りを感じており、関西他球団のファンとは異質の愛着や温かみが特色となっていた。SEOとは 阪急創始者の小林一三及び一三の三男で後にオーナーを務めた小林米三は、同じ阪急グループの宝塚歌劇を「娘」、ブレーブスを「息子」と並び称して愛着を示していた。しかし、ともに赤字経営となっていき、球団末期にはグループ内ですら、歌劇の「じゃじゃ馬娘」と併せて「どら息子」と陰で呼ばれるようになっていた。身売り時の阪急社長・小林公平は、文化人肌で、宝塚歌劇には愛着を持っていたが、ブレーブス=野球は嫌っていたとされる(公平は創業家・小林家の実子ではなく、三菱グループと親密な三村家からの婿養子である)。同じく阪急資本の東宝の「東宝チャンピオンまつり」などでも、阪急ナインのスポットニュースが番組に挿入されることはあったが、メインのプログラムの題材には読売ジャイアンツが使われるなど、グループが擁する映画・テレビ会社が活用されることも少なく、冷遇されていた。 ブルーウェーブ時代は本拠地を神戸に移したことで、地元神戸に根ざした球団運営が期待された。1994年以降、イチローの活躍や、「がんばろうKOBE」に代表される阪神・淡路大震災を契機とした神戸市民の連帯感が追い風となり、一時は近接する阪神タイガースを凌駕するほどの注目度と人気を集めた。しかし球団名に「神戸」の文字を入れないなど、地域密着に消極的な姿勢が見られた事や、世界記録を樹立した福本豊の背番号を永久欠番にしないなど、前身である阪急ブレーブスの歴史の軽視ともとられかねない姿勢やチーム強化・ファンサービスよりも選手を「契約金0円」でドラフト獲得し経費抑制を優先したことなどで、チームの弱体化と共に人気は低下し、後の球団合併を招いた(優勝時は満員御礼だったグリーンスタジアム神戸も石毛-レオン政権の頃には空席が非常に目立つようになっていた)。 プロ野球再編問題 (2004年)による球団合併後は資本的には存続球団であるが、ブルーウェーブ・旧・大阪近鉄双方のファンより「合併の結果、ブルーウェーブもバファローズも消滅した」と認識されてしまったため合併以降は年々観客数が減り続け、2007年シーズン終了時の観客動員は1試合平均4,650人の減少・前年比18.2%減を記録してしまった。 この様に、上記の球団合併の経緯と球団の歴史を軽視する経営姿勢[2]が原因でファン離れに歯止めが掛からない傾向にある[3]。以上の通り、現状は阪急と同時期に南海から身売りした福岡ダイエーホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)と明暗を分ける結果になっている。高速バス TDL しかし近鉄の人気選手であった大石大二郎が監督に就任して戦績が好転してからは離れていたファンが戻りつつある。 マスコット 1981年から日本ハムファイターズのギョロタンに次いで日本で2番目となる球団マスコット「ブレービー」を採用。阪急西宮球場での試合中、5回裏終了時にスクーターでフィールドを駆けていた。ブレービーは1990年まで使われた。また、1988年にはブレービーの子供として「勇太」が登場したが、同年オフにオリエント・リースに球団が譲渡されたのに伴い、僅か1シーズンのみで消滅した。宮古島 ダイビング ブルーウェーブとなった1991年からは「ネッピー」(背番号111)が登場。ネッピーは海神ネプチューンの息子で、年齢は13歳という設定。また1999年からは「海賊の娘で、嵐で船が難破して海で遭難していたところをネッピーに助けられた」という設定で、「リプシー」(背番号222)が登場。いずれもデザインは松下進。リプシーの色気には各方面で定評がある。 ブレービー・ネッピー共に島野修が1998年まで演じていた。 その他、ブルーウェーブ時代に「ブルーパイレーツ」という海賊4人組のマスコットがいた。 応援スタイル高速バス 横浜 鳴り物応援および チャンステーマも参照 阪急時代の応援は、高校野球のようなブラスバンドによる選手別応援歌演奏が特徴となっていた。現在の応援歌にも阪急時代から受け継がれている曲が一部存在する。 オリックス・バファローズを応援する際は、旧近鉄系の「大阪私設應援團」と旧オリックス系の「神戸蒼誠会」「天体観測」などの私設応援団が先導して行う。ちなみに「天体観測」の名前の由来は「選手がスター(星)になって、遠い存在になっても応援し続ける」というもの。セブ ダイビング 合併以降、ラッパなどの鳴り物の多様化やタオルを使った応援など近鉄のやっていたような激しい応援スタイルに近いものとなっている。また大阪私設応援団が応援の指揮をとることが多いなど、外野スタンドでは旧近鉄ファンの勢力が強くなっている。個人応援歌も近鉄の応援団が加わったのもあり従来のオリックスとは違う、迫力のある激しい応援歌になりつつある。石垣島 ダイビング 7回の攻撃前に飛ばされるジェット風船は、旧近鉄のチームカラーである赤色のものと、旧時代からのオリックスのチームカラーである青色のものがツートンで使用される。なお、近年では勝利時にも風船を飛ばされることも多くなっている(勝利時も同じく赤・青のツートン)。高速バス 広島 営業・ファンサービス 神戸移転後、プロ野球初の男性J(=スタジアムDJと命名され、この言葉が今の場内アナ全般に使われるようになった)DJ・KIMURAを採用、内野グラウンドの天然芝化、内野スタンドのネット撤去、フィールドシートの設置、2004年からは「Take Me Out to the Ball Game」のヤフーBBスタジアム版を演奏など、メジャーリーグのボールパークの雰囲気に近付けるファンサービスを実施したが、観客動員数向上への目立った効果は出なかった(なおフィールドシートの名称が当初「殿馬シート」であったとする俗説があるが、実際には「ドカベン」とのコラボレーションであった「ドカベンチケット」内のみでの名称であり、球場ではこの名称は使用されなかった)。パラオ ダイビング 地元大阪と神戸で開く主催ゲーム(オープン戦・公式戦いずれも)では、地元の企業・団体が1シリーズ(2~3連戦単位)で協賛し、球場のスタンド(大阪は2階席のバックスクリーン、神戸は左中間・右中間のバックスクリーン寄り)に「(協賛スポンサー名)シリーズ」の看板を掲げている。高速バス 格安 大阪・神戸のホームゲームではその試合でオリックスが勝利をした場合、1塁側ベンチからクラッカー(キャノン砲)が発射され、紙テープで祝福するのが恒例となっている。 神戸で試合をする場合、5回と6回のイニングスインターバルにアトラクションとして花火ナイターが開かれる。基本的には毎回300発だが、交流戦やシーズン最終戦(神戸での最終戦)など特別な日には「スーパー花火ナイター」としてそれよりも多めに花火を打ち上げる。